夢を叶えることは難しいが、夢を諦めることも難しい。
夢という甘い響き
「夢」という言葉には、何だか魔法のような特別な響きがある。
そのことを考えているだけでワクワクしたり、うれしくなったり、
生きていく原動力になったりもする。
以前観た「ばしゃ馬さんとビッグマウス」という映画でも、シナリオ
ライターになる夢を諦めきれずに、葛藤する姿を描いていたのだが、
軽いコメディーかと思いきや、チクッと胸が痛くなり予想外に
泣ける映画だった。
小さい頃は誰でも、「〇〇になりたい」とか「〇〇をやりたい」とか
素直に言っていたと思う。
だけど年を重ねていくうちに、「やっても出来ない自分」や「自分よりも
もっと凄い人がいる」など、いろいろな現実を知っていく。
そして、「やればできる」「夢は諦めなければ叶う」といった論理だけでは、
いずれ先が見えてきた時に、人生がしんどくなっていくかもしれない。
諦めること=逃げることではない
夢は諦めない限り、「いつかは叶うかもしれない」といった希望を持ち続ける
ことが出来るし、夢を持ち続けていることが、幸せなことかもしれない。
でも、「せっかくここまでやって来たんだから」という思いに縛られて、
ずるずるやり続けていくうちに、やめるタイミングを見失ってしまい、
「ここで諦めたら、今までの努力が無駄になる」と執着心にとらわれて、
人生が辛いものになっていくようであれば、潔く諦めることもアリだと思う。
諦めることは、逃げることではないと思う。
自分の実力や現実を受け入れ、やめようと思った時に、プライドや未練、
執着を断ち切り、きっぱりと終わらせること。
そして、夢が叶わなくても別の形や方法を変えて、実現できることもあるし、
全く別の道へ進んでいくこともあるだろう。
また、今までやってきたことは、決して無駄にはならないと思う。
自分の人生だからこそ、自分で選んで、責任を取ることが大切で、人生の中で
がむしゃらに夢中になれるものがあることは、幸せなことだと思う。
夢は、叶えることも難しいけど、諦めることも難しい。
日常の中にある幸せ。
一日の始まり
毎朝、うちの猫の「ご飯くれくれ!」コールで目が覚める。
寝ぼけてボーッとした頭のまま、台所に行きご飯の支度をする。
ガツガツとご飯に食らいつく猫の姿を眺めながら、少しづつ目が覚めてくる。
一日の始まりは、猫から始まる。
どうってことのない、一日の始まり。
毎日の暮らしの中で、ささやかな幸せを感じる瞬間。
あとどのくらい、この時間を過ごせるのだろうか。
誰にでも、いつかは終わりがやって来る。
でも、終わりがあるから、いいのかもしれない。
今日も明日も生きていきたくなるような、それだけで幸せと
思えるような時間を過ごしたい。
幸せは、日常の中にそっと隠れていると思う。
それを自分で楽しめるかどうか。
当たり前の日常が続いていく保証なんて、ないのだから。
当たり前と思った時、人は傲慢になり、感謝を忘れる。
日々の暮らしを大切にしたい。
何気ない日常を、面白がることが出来る自分でありたい。
今日も、いい天気だ。一日が始まる。
何かができてもできなくても、自分の価値は変わらない。そこにいるだけでいい。
「~ねばならない」の呪縛
「もっと頑張って目標を達成しなければいけない」
「もっと上を目指して成長しなければならない」
「もっと人に喜んでもらえるように、頑張らなければいけない」
この「~ねばならない」っていう感情は、うまくいけば野心につながるけど
失敗すると自分を責め、潰してしまう。
そして、出来ない自分を知られるのが怖いから、他人に認めてもらおうと頑張り
続けて心が疲弊してしまい、やがて自分の本当の気持ちがわからなくなって
しまう。
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