乗り越えられない悲しみに寄り添いながら生きていく。映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を観た。
乗り越えられない悲しみにそっと寄り添う映画
「もし、あの時、ああしていれば」「もし、あの時、あんなことしなければ」
誰でも一度は、そう思ったことがあるだろう。
しかし、いくら後悔しても時間はもとに戻らない。
後悔とともに生きていくことほど、つらいことはない。
映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」に出てくる主人公のリーは、
故郷を捨て、心を閉ざし、毎日を死んだように生きている。
兄の死をきっかけに、故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーに帰ることに
なる。兄の遺言で、死んだ兄の息子・パトリックの後見人になることになり、
一度捨てた故郷の町で、封印していた過去と再び向きあうことになっていく。
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それでも生きていく。映画「夜空はいつでも最高密度の青色だ」を観て思ったこと。。
人はみんな何かを抱えて生きている
やたらタイトルが長い「夜空はいつでも最高密度の青色だ」という映画を観た。
ストーリーは、昼は看護師、夜はガールズバーで働く美香(石橋静河)と
工事現場で日雇いで働く慎二(池松壮亮)が、出会いお互いに惹かれていくと
いった現代の東京で暮らす若者の恋を描いたもの。
詩人・最果タヒの詩集「夜空はいつでも最高密度の青色だ」を元に石井監督が
脚本を書き、映像化しているので、劇中でも詩が引用されている。
美香がつぶやく詩が印象的だ。
「都会を好きになった瞬間、自殺したようなものだよ。塗った爪の色を、きみの体の内側に探したってみつかりやしない。夜空はいつでも最高密度の青色だ・・」(『青色の詩より抜粋』)
東京という都会で、息苦しさを感じながら、不安、怒り、孤独、喪失感、
欠乏感、あきらめなどを抱えながら、日常を生きている美香と慎二。
行き場のない思いを飲み込み、窒息しそうな日々をやり過ごして生きていく。
人はみんな何かを抱えて生きているのだと思う。
絶望の中に見える希望
美香が慎二に、「喋ってないと不安なんだ」と言うシーンがある。
そうだ、私も沈黙が怖くて、やたら喋りまくって、あとで後悔することがある。
自分の中にある不安を感じないように、喋ることでバランスをとっているの
かもしれない。
映画の中で、慎二の同僚の一人が言った言葉が印象的だった。
「死んでしまうことを不幸だと思うなら、生きていくこともできない」
当たり前のことだけど、自分もいつかは必ず死ぬ。
でも、死ぬまでは「自分だけは死なない」って思っている。
今日生きているけど、明日も生きているという保証はない。
だからこそ、今のこの瞬間を悔いなく生きること。
何となく先が見えない不安に押しつぶされそうになりながらも、それでも
前を向いて生きていくしかないと思う。
観ていて、やるせない気持ちと息苦しさを感じながらも、ラストのシーンに
ほんの少し希望の光を感じた。
希望を感じにくいこの時代だからこそ、明日も生きていこうと思える
希望の種のようなものがあれば、いいなと思った。
夢を叶えることは難しいが、夢を諦めることも難しい。
夢という甘い響き
「夢」という言葉には、何だか魔法のような特別な響きがある。
そのことを考えているだけでワクワクしたり、うれしくなったり、
生きていく原動力になったりもする。
以前観た「ばしゃ馬さんとビッグマウス」という映画でも、シナリオ
ライターになる夢を諦めきれずに、葛藤する姿を描いていたのだが、
軽いコメディーかと思いきや、チクッと胸が痛くなり予想外に
泣ける映画だった。
小さい頃は誰でも、「〇〇になりたい」とか「〇〇をやりたい」とか
素直に言っていたと思う。
だけど年を重ねていくうちに、「やっても出来ない自分」や「自分よりも
もっと凄い人がいる」など、いろいろな現実を知っていく。
そして、「やればできる」「夢は諦めなければ叶う」といった論理だけでは、
いずれ先が見えてきた時に、人生がしんどくなっていくかもしれない。
諦めること=逃げることではない
夢は諦めない限り、「いつかは叶うかもしれない」といった希望を持ち続ける
ことが出来るし、夢を持ち続けていることが、幸せなことかもしれない。
でも、「せっかくここまでやって来たんだから」という思いに縛られて、
ずるずるやり続けていくうちに、やめるタイミングを見失ってしまい、
「ここで諦めたら、今までの努力が無駄になる」と執着心にとらわれて、
人生が辛いものになっていくようであれば、潔く諦めることもアリだと思う。
諦めることは、逃げることではないと思う。
自分の実力や現実を受け入れ、やめようと思った時に、プライドや未練、
執着を断ち切り、きっぱりと終わらせること。
そして、夢が叶わなくても別の形や方法を変えて、実現できることもあるし、
全く別の道へ進んでいくこともあるだろう。
また、今までやってきたことは、決して無駄にはならないと思う。
自分の人生だからこそ、自分で選んで、責任を取ることが大切で、人生の中で
がむしゃらに夢中になれるものがあることは、幸せなことだと思う。
夢は、叶えることも難しいけど、諦めることも難しい。
日常の中にある幸せ。
一日の始まり
毎朝、うちの猫の「ご飯くれくれ!」コールで目が覚める。
寝ぼけてボーッとした頭のまま、台所に行きご飯の支度をする。
ガツガツとご飯に食らいつく猫の姿を眺めながら、少しづつ目が覚めてくる。
一日の始まりは、猫から始まる。
どうってことのない、一日の始まり。
毎日の暮らしの中で、ささやかな幸せを感じる瞬間。
あとどのくらい、この時間を過ごせるのだろうか。
誰にでも、いつかは終わりがやって来る。
でも、終わりがあるから、いいのかもしれない。
今日も明日も生きていきたくなるような、それだけで幸せと
思えるような時間を過ごしたい。
幸せは、日常の中にそっと隠れていると思う。
それを自分で楽しめるかどうか。
当たり前の日常が続いていく保証なんて、ないのだから。
当たり前と思った時、人は傲慢になり、感謝を忘れる。
日々の暮らしを大切にしたい。
何気ない日常を、面白がることが出来る自分でありたい。
今日も、いい天気だ。一日が始まる。