罪悪感について。その(2)「許し」
罪悪感と自己犠牲
前回の更新から4ケ月余りが過ぎ、早いものでもう12月中旬です(汗)
今日は以前書いた「罪悪感」の続きを書いてみたいと思います。
以前といってもずいぶんと前ですが、、、。罪悪感は程度の違いが
あるにせよ、誰でも持っている感情だと書きました。
必要のない罪悪感は、手放すことで前に進んでいくことが出来ます。
罪悪感が強すぎると人生が生きづらくなり、「自分はダメな人間だ」という
自己否定や劣等感につながっていき、自分を責めることで身動きできない状態を
作りだしていきます。
それが続くと、次第に心は疲弊し、何も感じなくなり、無気力になっていきます。
そして、自分が悪いと思っているため、相手に何かをしてあげる時に本心から
「こうしたい」という気持ちよりも、「しなくてはいけない」という気持ちで
行動してしまいます。
それは「補償行為」と言われ、自分を犠牲にした罪を償うための行動なので
どうしてもしんどくなり、辛くなっていきます。
自分を許せない時は、他人も許せない
罪悪感が強い人は、「〇〇しなければいけない」という考え方が強く、
「ダメな自分を許せない」と思っているので、自分に厳しいのです。
そう、真面目でいい人が多いのです。
そして「自分が許せない」と思っている時は、同時に「他人も許せない」と
思っています。
「いい人と思われたい」「心の狭い人間だと思われたくない」という感情を
無意識に抑圧している為、自分では気がつかないのです。
「自分を許せない」=「他人を許せない」のです。
「自分が悪い」「自分を許せない」と自分を責め、攻撃することで、自分を守り
罪悪感を口実に、前へ進むことを無意識に止めてしまいます。
それは「許せない」という感情に囚われて、しがみついている状態です。
そうなると、自分が喜んだり、楽しんだりすることが申し訳ないという
気持ちになり、無意識に幸せにならないように自分で仕向けているのです。
そうすることで、自分に罰を与えているのかもしれません。
自分を許すことで前へ進める
では、罪悪感を手放すには、どうすればいいのか。
それは、「自分を許すこと」です。
自分がしてしまった過ちを認め、教訓として学び、自分を許すこと。
自分を許すことによって、物事を本来の視点から見ることができ、
傷ついた状態から抜け出し、自分を癒していく中で、他人に対しての怒りや
恨みを手放していくことができるのだと思います。
口で言うのは簡単なんですが、これがなかなか難しいですね・・・。
「許し」というテーマで、私が思い出すのが、イ・チャンドン監督の
「シークレット・サンシャイン」という映画です。
子供を殺された母親が、信仰によって心の安らぎを取り戻し、自分を許して
いくのですが、犯人もまた信仰によって許しを得て心穏やかに過ごしていたと
いうことを知っていくと、母親は再び苦しみを味わうことになるのです。
映画の中で、母親が言ったセリフがとても印象に残っています。
「私が苦しんでいた時に、あいつは神に救われていた。
私が許してないのに、神に許されることがあるのか」
人は許したと思っていても、突如として沸き上がってくる感情に翻弄され、
囚われてしまうことがあり、許すことがいかに難しいか。
そんなことを考えさせられる映画でした。
許すということは、人を傷つける行動を肯定するのでなく、自分の心の
安らぎのためにするのだと思います。
自分を許した時に、他人に対しても優しく寛容になることができ、他人も
許せるようになります。
そして、自分を本当に許せた時に、罪悪感を手放すことが出来るのだと
思います。