シンプルライフとシンプル思考

人生も思考もシンプルに!毎日が少しでも楽しくなるような考え方や映画、本などについての記録です。

罪悪感について。その(2)「許し」

罪悪感と自己犠牲

 

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前回の更新から4ケ月余りが過ぎ、早いものでもう12月中旬です(汗)

今日は以前書いた「罪悪感」の続きを書いてみたいと思います。

以前といってもずいぶんと前ですが、、、。罪悪感は程度の違いが

あるにせよ、誰でも持っている感情だと書きました。

 

sydankuten.hatenablog.com

必要のない罪悪感は、手放すことで前に進んでいくことが出来ます。

罪悪感が強すぎると人生が生きづらくなり、「自分はダメな人間だ」という

自己否定や劣等感につながっていき、自分を責めることで身動きできない状態を

作りだしていきます。

それが続くと、次第に心は疲弊し、何も感じなくなり、無気力になっていきます。

そして、自分が悪いと思っているため、相手に何かをしてあげる時に本心から

「こうしたい」という気持ちよりも、「しなくてはいけない」という気持ちで

行動してしまいます。

 それは「補償行為」と言われ、自分を犠牲にした罪を償うための行動なので

どうしてもしんどくなり、辛くなっていきます。

自分を許せない時は、他人も許せない

 

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罪悪感が強い人は、「〇〇しなければいけない」という考え方が強く、

ダメな自分を許せない」と思っているので、自分に厳しいのです。

そう、真面目でいい人が多いのです。

 

そして「自分が許せない」と思っている時は、同時に「他人も許せない」と

思っています。

「いい人と思われたい」「心の狭い人間だと思われたくない」という感情を

無意識に抑圧している為、自分では気がつかないのです。

 

「自分を許せない」=「他人を許せない」のです。

 

「自分が悪い」「自分を許せない」と自分を責め、攻撃することで、自分を守り

罪悪感を口実に、前へ進むことを無意識に止めてしまいます。

それは「許せない」という感情に囚われて、しがみついている状態です。

そうなると、自分が喜んだり、楽しんだりすることが申し訳ないという

気持ちになり、無意識に幸せにならないように自分で仕向けているのです。

そうすることで、自分に罰を与えているのかもしれません。

自分を許すことで前へ進める

 

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では、罪悪感を手放すには、どうすればいいのか。

それは、「自分を許すこと」です。

自分がしてしまった過ちを認め、教訓として学び、自分を許すこと。

自分を許すことによって、物事を本来の視点から見ることができ、

傷ついた状態から抜け出し、自分を癒していく中で、他人に対しての怒りや

恨みを手放していくことができるのだと思います。

口で言うのは簡単なんですが、これがなかなか難しいですね・・・。

 

「許し」というテーマで、私が思い出すのが、イ・チャンドン監督の

シークレット・サンシャイン」という映画です。

子供を殺された母親が、信仰によって心の安らぎを取り戻し、自分を許して

いくのですが、犯人もまた信仰によって許しを得て心穏やかに過ごしていたと

いうことを知っていくと、母親は再び苦しみを味わうことになるのです。

映画の中で、母親が言ったセリフがとても印象に残っています。

「私が苦しんでいた時に、あいつは神に救われていた。

私が許してないのに、神に許されることがあるのか」

人は許したと思っていても、突如として沸き上がってくる感情に翻弄され、

囚われてしまうことがあり、許すことがいかに難しいか。 

そんなことを考えさせられる映画でした。

許すということは、人を傷つける行動を肯定するのでなく、自分の心の

安らぎのためにするのだと思います。

自分を許した時に、他人に対しても優しく寛容になることができ、他人も

許せるようになります。

そして、自分を本当に許せた時に、罪悪感を手放すことが出来るのだと

思います。